クロスロードツアーズ

≈≈ 旅は記憶の財産 ≈≈

赤毛のアン・モンゴメリの世界が広がる

プリンスエドワード島は赤毛のアンの舞台! モンゴメリゆかりの地も

 
赤毛のアン
ルーシー・モード・モンゴメリ
1874年、カナダのプリンスエドワード島、ニューロンドンで生まれます。幼くして母親が亡くなり、キャベンディッシュの母方の祖父母マクニール家に引き取られます。1908年に小説「赤毛のアン」出版し、世界的に大ベストセラーとなりました。やがて島を離れ、数々のアンシリーズを出版し、1942年トロントで亡くなります。彼女の青年時代を過ごしたプリンスエドワード島のキャベンディッシュで夫ユーアン・マクドナルドと共に葬られていて、現在でも世界中から彼女のファンが訪れています。
小説「赤毛のアン」
ノヴァスコシア州の孤児院で育った赤毛の11歳の少女アンは、プリンスエドワード島の老兄妹マシュウとマリラの元に引き取られることになり、初めて島を訪れます。その時の感動は小説の中で「プリンスエドワード島は世界じゅうでいちばんきれいなところだって、いつも聞いていましたから自分がそこに住んでいるところをよく想像していましたが、まさかほんとうにそうなるなんて夢にも思わなかったわ」―村岡花子訳― と表現しています。 「赤毛のアン」は空想好きで明朗快活なアンの冒険の物語です。

♥パークコーナーのモンゴメリゆかりの地

グリーンゲイブルス博物館
写真提供:東京都中野区在住 U.Y様
グリーンゲイブルス博物館(銀の森屋敷)
プリンスエドワード島の北海岸、のどかな片田舎のパークコーナーにあるグリーンゲイブルス博物館は、キャベンディッシュにあるアンの家のグリーンゲイブルスとは別の施設。モンゴメリの叔母にあたるキャンベル夫妻の家で、彼女はSilver Bush(銀の森屋敷)と名付けました。モンゴメリもしばしばここを訪れています。現在は当時の建物をそのまま博物館として公開しています。
モンゴメリが挙式した居間
モンゴメリが結婚式を挙げた居間(parlor)
モンゴメリは1911年7月11日、36歳の時に牧師のユーアン・マクドナルドと結婚します。その結婚式を挙げた場所がこの銀の森屋敷の居間です。真っ黒の暖炉やオルガンなどはその当時のまま保存されています。
モンゴメリに憧れて、同じようにこの部屋でウェディングを挙げるカップルも多く、日本人の方もいます。ご希望の場合、お手配できます。詳しくはこちら。
グリーンゲイブルス博物館
写真提供:千葉県船橋市在住 A.R様
グリーンゲイブルス博物館(写真スポット)
銀の森屋敷の隣にある大きな倉庫の壁に「Anne of Green Gables Museum」とペイントされていて、写真スポットとなっています。この手前にアンが「輝く湖水」と名付けた美しい池があります。グリーンゲイブルス博物館はギフトショップも併設していて、アンのグッズを販売。
マシュウの馬車のアトラクションは、この博物館が出発地です。
プリンスエドワード島地図
  • 専用車
  • 専用車チャーター ツアーモデルプラン

  • 専用車と日本語ガイドをチャーターしてモンゴメリゆかりの地を巡るモデルプランです。
    シャーロットタウン ~ ロウアーベデックスクール ~ サマーサイド ~ ビデフォード・パーソネージ博物館 ~ コンフェデレーションブリッジ ~ SHOP&PLAYでショッピング ~ シャーロットタウン
    所要時間:約5時間 790ドル(専用車1台当たり・4名様まで乗車可)
    ドライバー・ガイドチップ込み。入場料別。5名様以上の場合お問合せ下さい。

♥その他 赤毛のアンゆかりの地

輝く湖水
写真提供:千葉県船橋市在住 A.R様
輝く湖水
パークコーナーのグリーンゲイブルス博物館の前に位置する池で、アンが「輝く湖水」と名付けた池のイメージにぴったりの雰囲気。マシュウの馬車のアトラクションはこの池の端を通り、海岸まで往復する1時間のコースです。ご希望の場合、お手配できます。詳しくはこちら
ケンジントン駅
Tourism PEI
ケンジントン駅
プリンスエドワード島にはかつて鉄道が通っていましたが1968年に廃止となりました。ケンジントン駅は当時のままの駅舎が残されている数少ない駅です。現在ではパブレストランに改装されていますが、アンが初めてPEIを訪れた時に降り立ったブライトリバー駅のモデルとなっていて、多くの観光客が訪れます。
 

♦キャベンディッシュにあるモンゴメリゆかりの施設

  • キャベンディッシュ郵便局
    キャベンディッシュ郵便局
  • モンゴメリ公園
    モンゴメリ公園
  • キャベンディッシュにはグリーンゲイブルスをはじめとする赤毛のアンやモンゴメリの史跡が多くあります。一時モンゴメリが働いていたこともあるキャベンディッシュ郵便局やモンゴメリの功績を記念する公園などもあります。 詳しくはキャベンディッシュのページをご覧下さい。

♣赤毛のアン ミュージカル情報

  • 赤毛のアン・ミュージカル Tourism PEI
  • アンとギルバート・ミュージカル
  • シャーロットタウンの劇場では毎年夏のシーズンにミュージカルが上演されます。ご存知「赤毛のアン」はコンフェデレーションセンターで、続編の「アンとギルバート」はギルドシアターで、それぞれご覧いただけます。詳しいスケジュール・代金などはこちら

♣モンゴメリゆかりの地

ルーシー・モード・モンゴメリ
Tourism PEI
ルーシー・モード・モンゴメリ
生まれて2歳に満たない時期に母を失い、祖父母の元で育てられた境遇をモチーフに赤毛のアンは描かれたとされています。日本では1952年に村岡花子訳で初めて出版されます。以来1400万部以上が増刷、出版されています。
モンゴメリの生家
写真提供:大阪府吹田市在住 S.K様
モンゴメリの生家
モンゴメリは1874年11月30日、プリンスエドワード島北部の片田舎ニューロンドンの地でこの世に生を受けました。現在も生家は現存していて博物館として公開されています。アンが生まれた部屋、アンのウェディングドレスのレプリカなどが展示されています。
ロウアーベデックスクール
Tourism PEI
ロウアーベデックスクール
ロウアーベデックはプリンスエドワード島の南部、サマーサイドに近い場所にあります。1教室だけしかない小さな学校で、モンゴメリも1897年から1898年まで実際に教鞭をとったことがあります。現在ではモンゴメリゆかりの史跡として博物館となっています。
ビデフォード・パーソネージ博物館
Tourism PEI
ビデフォード・パーソネージ博物館
モンゴメリが1894年から1895年までこの地区の教師をしていた時に住居としていた牧師館で、現在ではモンゴメリゆかりの史跡のひとつとなっています。「赤毛のアン」でケーキに香料の代わりに痛み止めを入れてしまったエピソードはこの館で実際に起こったエピソード。
サマーサイドの柳荘
サマーサイドの柳荘を思わせる館
南海岸のサマーサイドはプリンスエドワード島第ニの都市。赤毛のアンシリーズの「アンの幸福」の舞台。アンがサマーサイドの高校で教師をしていた時に下宿した柳荘(Windy Poplars)と呼ばれた大邸宅をイメージする古い館がいくつか現存しています。
モンゴメリの墓
写真提供:京都市左京区在住 H.H様
モンゴメリのお墓
モンゴメリは牧師のユーアン・マクドナルドと結婚した後、プリンスエドワード島を離れオンタリオ州に移り住みます。1942年にトロントで67年の生涯を閉じますが、故郷のキャベンディッシュの教会で葬式が行われ、同じくキャベンディッシュの墓地に夫とともに眠っています。現在でもモンゴメリのファンによってお墓はきれいに手入れされ、多くの観光客が訪れます。

モンゴメリと郵便局のショートビデオをYOU TUBEでどうぞ。

Canadian Museum of history

ストーリー

ルーシー・モード・モンゴメリはプリンスエドワード島のニューロンドンに誕生、2歳の時に母が病死し、キャベンディッシュの祖父母に引き取られます。祖父は郵便局長をしていて、モンゴメリは祖父の手伝いをしながら育ち、やがてキャベンディッシュを離れ、教師となります。

祖父の死後、祖母の面倒を見るため再びキャベンディッシュの実家に戻り、郵便局の仕事を手伝いながら小説を書き始めます。それが現在、世界中で広く愛読されている「赤毛のアン」です。彼女はカナダや米国の出版社に原稿を送り、1908年に初めて出版されます。

彼女が当時暮らしていた郵便局で多くの人たちとの交わりや見聞きした経験が小説の中で生かされています。その後、住居は取り壊されて、1970年代に現在の場所に当時の面影を残して移築され、今でも博物館を兼ねた郵便局として運営されています。

  
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